歴史力を磨く 第29回

日本人の道徳

近年、日本の文化が海外でもてはやされている。しかし、これは今に始まったわけではなく、古くから日本を知った西洋人は驚きと共に日本を称賛していた。

日本にキリスト教を最初に伝えたとされるフランシスコ・ザビエルは1549年に来日したが、そのきっかけは宣教活動をしていたマラッカで鹿児島出身の武士ヤジロウと出会ったことであった。ザビエルは、ヤジロウと出会った途端にそれまでのどんなアジア人とも違う人間だと感じた。アジアで初めて自分たちヨーロッパ人と同じ「理性」をもつ人間に遭い、「理性に従って行動する民族がいる」と発見し驚くのである。

キリスト教で「理性」というのは、造物主のデウスから人間に付与された能力とされているため、デウスを知らず、神のいない国の人間が「理性」を持っていることに対する驚きが、ザビエルにとって深い謎となった。ヤジロウは、日本人は「理性」なくして行動するようなことはないと述べたとされるが、当時この西洋的な概念を示す「理性」という言葉は使われてはおらず、それは「道理」のことではないかとされている。(小堀桂一郎『なぜ日本人は神社にお参りするのか』)

「道理」とは、仏教の因果応報の摂理などでは説明のつかない現実を表す、自然なある種の道筋として理解されてきた。それはもともと名付けようもなく存在していた生きる規範のようなものであり、それが「道徳」として捉えられ、「道理」と名付けられた。

英国の女性旅行家のイザベラ・バードも、明治11(1878)年に日本を旅行した際、失くしたものを馬子が探してきてくれて、しかもお金を受け取らなかったということを『日本奥地紀行』に書いている。

また、1922年に来日したアインシュタインは、インタビューに以下のように答えている。「私はまず第一に日本の国民の歓待を心底から感謝しなければならない。そして地球上にこのような謙譲にして品徳のある国民が存在することを心に刻まなければならない。世界各地を旅行した私は未だかつてこのような快い国民に出会ったことがない。」(『朝日新聞』1922年2月22日付)

このように、多くの外国人が日本の風景や日本人の気質を誉めてきた。そこに共通しているのは、日本では教育を受けた人だけでなく、どんなに貧しい人でも道徳を身につけているということについての感心であり、すべての人々が秩序によって治められていることへの驚嘆である。それは、日本人の知性や道義というものがあとからの教育によって植え付けられたものではないことを物語っている。

日本では道徳は教えられるものではなく、最初から身に付けているべきものであった。このような日本人の美しさも、決して忘れられてはならない。