歴史力を磨く 第30回

国防に於ける情報の価値と「愛国」の由来

日本の安全保障環境が、これまでよりも厳しさを増しているとの指摘は、連日のように報道されている。そこから政府も、防衛予算の拡充を目指しているが、それに対し野党は厳しい国家財政の中での防衛予算の増加を認めず、外交努力による緊張緩和を目指すべきだと主張している。

この国防と経済については、著名な経済学者であったアダム・スミスも、『国富論』という本の中で取り上げており、そこでは「国防は豊かさよりも大切である。市場経済の根幹は国防にある」と繰り返し述べ、そこに必要な額の予算を使うことは欠かせないと説いている。現代ではそれに加えて、独自情報網の充実と情報の確保が国防上の重要政策として指摘されている。

戦前の日本には、陸軍中野学校というスパイ養成機関があったが、その中に終戦後も敵地に潜んで活動を続ける「残地諜者」と呼ばれる情報工作員がいた。例えば、先の大戦の終戦後も、中国にはその種の人達が多くいて、中国人として暮しながらも、特別のルートで日本の為に情報を送り続けていた。こうした人達も1980年代には亡くなり、日本は独自の情報ルートを失うことになったが、それが以降の日本の対中国戦略がアメリカやイギリスなどと比べて後手に回ってきた理由の一つとされている。

この残地諜者の初期の例として、西暦663年、天智天皇の時代に朝鮮半島であった「白村江の戦い」後の日本兵があげられる。この時、日本・百済の連合軍は、唐・新羅の連合軍に大敗を喫し、多くの日本兵が捕虜となって中国に連行された。その時、唐の都長安に連れていかれた日本人の捕虜たちは、唐王朝が日本遠征を企てているという情報を得た。そのことを何としてでも日本の朝廷に知らせなければと思うものの、虜囚の身では旅費も確保できない。

そこで、捕虜の一人であった大伴部博麻(おおともべのはかま)は、自分の身を奴隷として売り、その金で仲間たちを日本への密使として送り出した。彼らの知らせを聞いて、日本は九州や西日本で防備を固め、国を守ることが出来たのである。その後、約30年も唐にいた博麻が690年に日本に帰った時、この話を聞いた持統天皇は感動し、身を賭して日本へ危険を知らせようとした彼らの忠誠心と愛国心に対して感謝を表し、褒美を賜った。

『日本書紀』によれば、その際の勅語の中で初めて「愛国」という言葉が使われたという。「愛国」の「国を愛する」という意味には、こういう歴史的な由来があったのである。

(次回は12月8日号掲載)

〈筆者プロフィル〉髙崎 康裕(たかさき・やすひろ)
ニューヨーク歴史問題研究会会⻑。YTリゾリューションサービス社⻑として、日系顧客を中心とした事業開発コンサルティング、各種施設の開発企画・設計・エンジニアリング・施⼯管理業務等を⼿掛けている。シミズディベロップメント社⻑、Dillingham Construction代表取締役、東北大学特任教授歴任。現東北大学総⻑特別顧問。著作に「建設業21世紀戦略」(日本能率協会)、「海外業務ハンドブック」(丸善)、 「海外プロジェクトリスクへの対応」(エンジニアリング振興協会)など多数。