歴史力を磨く 第11回

NY歴史問題研究会会長 髙崎 康裕

今週末の2月11日は、建国記念の日である。この日は元来、紀元節と呼ばれていたが、それは日本の初代の天皇たる神武天皇が大和の橿原(かしはら)の宮で即位の式を挙げられ、我が国の紀年の開基を定められた、その年の元旦を記念している。つまり日本という国の暦年の開始を意味する日である。

その日を、16世紀の末にローマ教皇グレゴリウス13世が、それまでのユリウス暦を改革し制定したグレゴリオ暦に換算すると、紀元前660年の2月11日に当たることから、明治5(1872)年12月の太陽暦採用に際し、日本の正史に録された神武天皇の即位日を紀元節と呼び改めることになった。

神武天皇の即位式が、その年の1月1日であったというのは、『日本書紀』の編纂時に舎人親王らが、春という季節の始めの日が最もそれに相応しいめでたい日であるとして決められた。それはキリスト教文化圏での暦年の開始が、救世主キリストの降誕した年であると考え、現行の西暦の元年とした発想と共通している。またそのイエスの誕生日が、太陽の地上を照らす力が最も衰え、そして復活して再び力をつけ始める日、つまり当時の暦での冬至であった12月25日と考えられたのにも通じる発想である。

今から150年前の明治維新に際しては、「諸事神武創業の始めに原(もとづ)き」という表現が使われたが、その神武天皇の創業の理念はどのようなものであったのであろうか。神武天皇は、即位の前々年に「八紘為宇」のみことのりを発せられ、天皇ご自身の言葉で建国の理念を述べられた。そこで言われているのは、人民に社会生活の規範としての法の存在を教え、その法規範に抵触しない限り人民にはそれぞれの利益を追求する自由があること、そしてその自由を行使するために欠かすことのできない条件は、社会の秩序が正しく維持されていること、というものである。その秩序を通して、民草の平和な暮らしを統治者の責任で保障することを約された。

民草の暮らしの安寧を保障するとの君主の約束は、国内のみを考えれば、社会秩序の維持に責任を持つとの意味だが、国際社会という国外の条件も視野に入れ考える時には、外からの脅威に対して国土と国民の安全を守るとの約束が含まれていた。即ち現代の概念で言う主権国家の建設と国家存立の大前提となる国防の意識を謳われたのである。

今日本が直面する国防の危機に際し、我が国土と国民の安寧を守り抜くという覚悟を新たにすべきことは、主権国家の尊厳という意味からも当然である。そしてそれは、幕末からの国防の危機を乗り越えた明治の心に倣うだけでなく、神武天皇肇国の理想に、二千年の後世からお応えすることにもなると思うのである。