NEW YORK BIZ コラム

【 歴史力を磨く 】


〈 コラム第36回 〉 天皇と国民の総意 

今年は御代替わりを迎え、皇位の継承が行われる。皇位継承は皇室典範に規定されているが、その法源は歴代の皇位継承という大事の範例をなしてきた不文の伝統である。この伝統に法的規範性を求めるという考えは、それが「国民の総意」であるという理念に支えられている。

現行憲法の第一条にも、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれている。この文中の「天皇」と「国民の総意」については、次のように解説をされてきた・・・


〈 コラム第35回 〉 靖国と文明の裁き 

本年が靖国神社創建150周年に当たると前回のコラムで説明をした。この靖国神社は、国家の為に斃れた英霊を祀る施設であるが、先の大戦後にこの靖国神社を焼却しようという計画があった。

昭和20(1945)年9月2日午前9時、東京湾内の米戦艦ミズーリ号艦上で行われた停戦合意文書調印の結果成立したのは、ポツダム宣言の列記する条件に双方が合意した結果の事態として、正しくは「停戦協定」と呼ぶべきものであった。しかし米国はこの協定書を狡猾にも「降伏文書」と呼んだ・・・


〈 コラム第34回 〉靖国の英霊と御親拝 

昨年は明治150年という節目の年であった。引き続いて今年は、明治2(1869)年6月29日に東京招魂社として創建された靖国神社の150周年の記念年に当たる。

靖国神社は、明治天皇の聖旨を奉じて創建されたものであり、これまで天皇崩御と大東亜戦争後の占領期を除いて、例大祭、臨時大祭などには代々欠かさず勅使が差遣されてきた・・・


〈 コラム第33回 〉  大嘗祭と政教分離  

本年の御代替わりに伴う大嘗祭について、秋篠宮殿下が昨年のお誕生日会見の席上為されたご発言は、天皇・皇族と政治との関わり方と大嘗祭を巡る政教分離の問題という二つの点を再浮上させた。

大嘗祭に限らず宮中祭祀そのものが、国家と国民の安寧慶福を祈るという意義を有する・・・


〈 コラム第32回 〉  日本人の宗教と道徳と愛国心  

以前のコラムで、「日本では道徳は教えられるものではなく、身につけているべきものであった」と書いた。その後読者の方から、では日本人の道徳観と宗教とはどのようにつながっているのかとの質問を受けた。

日本人の道徳観については、16世紀以降日本を訪れた西洋人が一様に驚き、そして称賛しているが、それは近代以降も変わっていない・・・


〈 コラム第31回 〉  第二の敗戦  

昭和20年9月2日に、日本国政府は東京湾内に侵入してきた米戦艦ミズーリ号艦上で、米国を代表とする連合国9カ国代表との停戦協定に調印した。しかし、この日に調印されたのは戦闘行為停止の協定であって、戦争の終結は日本対連合国間の平和条約が国際法上の効力を発現した昭和27年4月28日であった。その日までの約6年8ヵ月間は、軍事占領という形で、法的には戦争は継続していたのである・・・


〈 コラム第30回 〉  国防における情報の価値と『愛国』の由来  

日本の安全保障環境が、これまでよりも厳しさを増しているとの指摘は、連日のように報道されている。そこから政府も、防衛予算の拡充を目指しているが、それに対し野党は厳しい国家財政の中での防衛予算の増加を認めず、外交努力による緊張緩和を目指すべきだと主張している・・・


〈 コラム第29回 〉  日本人の道徳  

近年、日本の文化が海外でもてはやされている。しかし、これは今に始まったわけではなく、古くから日本を知った西洋人は驚きと共に日本を称賛していた・・・


〈 コラム第28回 〉  清潔という美意識  

今年の日本の夏は酷暑の日々であったが、同時に西日本の記録的な豪雨災害や、連続して上陸した台風による被害の記憶も抜いては語れない。先年の東日本日本大震災をひくまでもなく、有史以来日本は度重なる火山の噴火や地震に見舞われてきた。それらの天変地異だけでなく、嵐や洪水などの自然界の大きな脅威は、日本人に何か人智を越えた大きな存在の神秘性を感じさせてきたに違いない。そこから人々は自然に対する畏怖の念を持つようになっていったのであろう・・・


〈 コラム第27回 〉  人種平等を訴えた日本  

第一次大戦中の1918(大正7)年、アメリカのウィルソン大統領は戦争講和のための14カ条の原則を発表し、その中で「民族自決」と「国際平和機構(国際連盟)」の設立を提唱した。この「民族自決」とは、各民族が自らのことは自ら決定できるという原則に基づく、民族の平等と人種の平等を意味するものと理解された・・・


〈 コラム第26回 〉  憲法改正に向けて  

自民党総裁選に臨んで、安倍総理は秋の臨時国会に自民党案の提出を目指すと表明されていた。確かに、憲法改正を目指す上では、与党が国会議員の3分の2を占める今を措いてその時期はないであろう・・・


〈 コラム第25回 〉  『無条件降伏』の意味  

先の大戦末期に、日本の戦争終結に向けた動きはアメリカの諜報網により、既にアメリカの国家指導者たちの知るところとなっていた。アメリカ陸軍省が傍受した通信を大統領に報告する、「マジック報告書」と呼ばれる機密報告書があった。サイパン島が陥落した翌月の昭和19(1944)年8月11日付の報告書では、日本がソ連を仲介として講和を模索している事実が既に詳細に書かれていた・・・


〈 コラム第24回 〉 戦後の禁忌  

日本における戦後の禁忌(タブー)といえば、先の大戦における「アメリカの戦争責任」ではなかろうか。特に、アメリカが東京をはじめとする日本中への無差別爆撃をしたことと、広島と長崎に原爆を投下したことについて、その正当性に疑問を投げかける議論がこれにあたる・・・


〈 コラム第23回 〉 平成最後の夏に  

靖国神社は来年創建150年を迎える。では、この靖国神社はどのようにして誕生したのであろうか。それは明治維新の際の、官軍東征軍の陣中慰霊祭から始まった。慶応4年の4月末(明治と改元されたのはこの年の9月)に、維新に際しての戦火に斃れた者の霊を慰めるために戦没者将兵の招魂慰霊祭を挙行するという文書が出され、翌明治2(1869)年6月に最初の招魂祭が行われた。当初この祭祀施設は東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に改称されて、靖国神社と呼ばれるようになった・・・


〈 コラム第22回 〉「信念を達し得る」ために

先の大戦の末期、レイテ沖海戦の最中の昭和19(1944)年10月20日、世界戦史上類のない、航空特攻隊が出撃した。当時の戦局は日に日に悪化し、敗戦色が濃厚な中、特攻作戦が決行されたのである。苦悶の末に特攻隊編成の決意をした大西瀧次郎中将は「この危機を救える者は大臣でも、大将でも、軍令部総長でもない、諸氏の如く純真にして気力に満ちた若い人々である」、「ここで青年が立たなければ、日本は滅びる。しかし、青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びない」と隊員に訓示した・・・


〈 コラム第21回 〉「歴史の記憶」という「抑止力」

平時における防衛の機能とは、基本的には「抑止」である。攻撃してくる相手には、必ず反撃し、甚大な損害を与えるという構えを堅持して、敵対勢力の軍事行動をあらかじめ封じることである。予想される相手側の被害が大きければ大きいほど、「抑止」は有効に働く・・・


〈 コラム第20回 〉「信用」と「嘘」

日本には、「噓つきは泥棒の始まり」という諺がある。子供の頃から親や先生に厳しく教えられたこともあって、多くの日本人に広く知られた諺である。一方、欧米でも嘘は禁じられている。絶対に嘘をついてはいけないと厳しく教育されているし、大人相手のビジネススクールなどでもそう教えている。しかし、嘘がなぜいけないのか、その理由については日本と欧米では大きな違いがある・・・


〈 コラム第19回 〉「誠実」である強さ  

世界中の他の国々を見ると、「人に騙されないように気をつけろ」とか、「騙される前に騙してしまえ」などと教える国が殆どである。これに対して日本人は、「人を騙してはいけない」という倫理観が基本的に根付いている。それは、「騙すより騙される方がいい」とさえ言われるくらいである。ここに表れているのは「誠実さ」を貴ぶ姿勢であるが、その基には、神代の昔から受け継がれてきた「自分の心を磨け」という教えがある。そしてこの精神が、これまで幾度の困難を乗り越えてきた日本人の底力を生み出してきた・・・


〈 コラム第18回 〉「信義」を重んずる心  

日本文明は他の世界主要文明と異なり、「一つの国で一つの文明をなしている」という類例のないケースだとされる。畢竟日本にとっての国際関係は、全て異文明との対峙を意味していた。そのような宿命下での外交に於いて、昭和天皇が重んじられていたのは、国際社会に於ける「信義」というものであった・・・


〈 コラム第17回 〉散るぞ悲しき  

辞世のなかに、忘れられない歌がある。それは硫黄島玉砕時のものである。その戦い(昭和20年2月16日~3月26日)は、大東亜戦争末期の小笠原諸島の硫黄島における日米の戦闘である。日本軍は、22,786名の守備兵力のうち21,763名までが戦死した。この戦闘はまた、米軍地上部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が、日本軍を上回った壮絶なものでもあった・・・


〈 コラム第16回 〉情報を読む力  

今日の日本のメディアによる森友学園や加計学園に関する連日の報道と、それに連動した形での内閣支持率低下の報を目にする時、「情報」の持つ力とその利用という命題にも思いが及ぶ。

人間は、自らの利益のために「情報」を生み出し、利用しようとする。しかし今、その情報は巨大化し、生みの親である人間をも振り回しているようにも見える・・・


〈 コラム第15回 〉「大アジア主義」の理解  

「大アジア主義」と言えば、日本のアジア侵略を正当化する思想との批判がなされてきた。しかし、この言葉を最初に唱えたのは日本人ではなく、中国革命の指導者であった孫文である。「大アジア主義」とは、欧米の植民地主義にアジアが団結して対抗し、解放しようとする考えに他ならない・・・


〈 コラム第14回 〉歴史戦に学ぶ  

大航海時代から19世紀末に至るまで、ヨーロッパ列強によって続けられた植民地収奪の歴史の中でも、16世紀のスペインによる中南米侵略の歴史は、極端な悲惨さを以て伝えられてきた。彼らの植民地政策は「エンコミエンダ」と呼ばれたが、これはスペイン語で「信託する」という意味であった・・・


〈 コラム第13回 〉日本国憲法にみる「主権」とは  

近代国際法によれば、国家とは領土、国民、主権の3要素を持つものとされる。

16世紀にこの「主権」という言葉が定義づけられて以来、理論上はどんな小さな国家にも「主権」が認められなければならないということが、基本的な理解とされてきた・・・


〈 コラム第12回 〉世界史の中の明治時代  

明治時代という約半世紀は、西欧諸国の世界からみれば、自分たちよりもはるかに古い民族統一体としての歴史を有する日本が、どこまで自分たちの文明の尺度に適応していくかを見守っていた歳月でもある・・・


〈 コラム第11回 〉建国記念日の日に  

今週末の2月11日は、建国記念の日である。この日は元来、紀元節と呼ばれていたが、それは日本の初代の天皇たる神武天皇が大和の橿原(かしはら)の宮で即位の式を挙げられ、我が国の紀年の開基を定められた、その年の元旦を記念している。つまり日本という国の暦年の開始を意味する日である・・・


〈 コラム第10回 〉日本国憲法の出自と限界  

周知のように、日本国憲法は日本の大東亜戦争敗戦に伴う占領下で、「日本国が再び米国の脅威となり又は世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」(「降伏後に於ける米国の初期の対日方針」昭和20(1945)年9月22日)の一環として制定されたものである。即ち、日本国憲法は日本敵視・弱体化の所産であるという視点は理解しておかなければならない・・・


〈 コラム第9回 〉自由のもつ意味  

現代の英語には「自由」を表すのに、FreedomとLibertyという二つの語がある。このどちらがより高級な自由か(「〜の自由」か「〜への自由」か)という議論をしばしば目にするが、この二つの語は語源を辿ると殆ど同じ意味から発している。Freedomはゲルマン語で血族や部族といった「解消しがたい属性」を表す言葉に由来しており、Libertyはラテン語系の言葉で「民族」を表す言葉に由来している・・・


〈 コラム第8回 〉憲法改正論義を前に:国家の理解 

今回の総選挙の結果、改憲勢力が総議員の3分の2を大幅に超えたことから、憲法改正論議の高まりが期待されている。一方、日本のメディアに登場する識者と言われる人たちからは、「憲法は国家権力を縛るもの」という説明がなされ、これが憲法改正はその縛りを解き、「基本的人権の保障」という現行憲法の精神を・・・


〈 コラム第7回 〉自らを識るために 

今年も日米開戦の記憶を辿る日を迎えた。その開戦当時の諸事実については、戦後長く公表されていなかったものも近時明らかにされてきた。例えば開戦直前の日米交渉に於いて米国側にはもはや「交渉」の意図は全くなかったことや、日本海軍による真珠湾の「奇襲」攻撃は単に米大統領の予知するところであったのみか、寧ろ待望するところであったことなどである・・・


〈 コラム第6回 〉『危機に立つ国家』の教訓 

今から約35年前の1983年に、アメリカ連邦政府特別委員会は一つの報告書を時のレーガン大統領に提出した。『危機に立つ国家』と題されたこの報告書は、「我々の国家は危機に瀕している」と書き出し、「アメリカはかつて通商、産業、科学、技術革新の各分野で優位を誇っていたが、今は世界中の競争相手にその地位が脅かされている」と述べている・・・


〈 コラム第5回 〉国家を愛する心とは 

日本の教育を語る際に、「愛国心」というものをどう教えるのかという問題がある。確かに愛国心というものは、押し付けられて身につくというものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより自然に養われていくものであろう・・・


〈 コラム第4回 〉国家は誰のものか  

三島由紀夫が戦後25年目の、まさに彼が亡くなった年に遺した有名な言葉がある。昭和45年7月7日付の『産経新聞』に掲載されたものだ。

「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままに行ったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。日本はなくなって、その代わりに無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」(「私の中の25年」)・・・


〈 コラム第3回 〉かつて見た理想の社会 

日本人らしさや日本的なるものを一言で言うのは容易ではない。言葉よりも身近な事例で考える方が分かり易いのかも知れない。 例えば以前の日本人には明らかに節度と慎ましさがあった。恥を不名誉とし、自らを律することで品格を保っていた・・・


〈 コラム第2回 〉日本の徳育と教育勅語 

人間の暮らしの中で、何が大切な価値観なのであろうか。皆が安心して幸せに暮らせる社会を創る上で必要なものは何なのであろうか。それは何も特別なことではなく、当たり前のこと、即ち「常識」や「良識」ではないだろうか・・・


〈 コラム第1回 〉歴史の彼方の、凛然とした姿を求め 

人は、未来に希望を託すことができると信じる時、生きる意欲と安堵を得る。人は誰でも皆、愛する者の未来の確かさを願い、故郷や祖国の繁栄とその基盤の堅固たることを願う。しかし今、どれだけの日本人が日本人であることに誇りを持ち、愛する者や故郷や祖国の未来を信じ、次の世代に希望を託することが出来ているであろうか・・・